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感想文:人は話し方が9割

ポテト食べたり、カップラーメン食べたりして投稿が遅くなりました。

「人は話し方が9割」を読んでみました。

この本は嫌いな人とコミュニケーションを上手く取る方法を教えているわけではありません。むしろ、好きな人とコミュニケーションを積極的に取ることで自己肯定感を高めることを推奨しています。自己肯定感を高めるとなにがいいかというと、話す内容が否定されたらどうしよう、という心配が薄れて、話すことが楽になります。

人は話し方が9割

人は話し方が9割

 

著者の松永さんは、「人はみんな自分が一番、自分に一番興味がある」との前提に立っています。

そのため、相手を観察して本当に求めてることを探すことが人間関係の真理であると筆者の永松さんは言っています。

この前提を理解すれば、どのような話し方が良いと述べられているか想像することができると思います。

相手を主語にして、相手を理解できるように9割聞く。相手が幸せになりますようにと願いながら話すことで、話し方で得できるようになります。

この前提には賛成で、少なくとも私は自分を理解してくれる人が好きです。プラスの感情も話していると伝わると思っているので、相手のことを願うという気持ちを持つことも大切だと思いました。

 

でも、いくら自分を理解してくれようとしていても、プライベートをたくさん聞かれるのは嫌です。

そこで会話の糸口となる、具体的な話題が参考になりました。

・ペット

・出身地

・食べ物

です。

確かにこの3つはプライベートに突っ込みすぎず、相手の趣向が知れて、話しが弾めば家族や幼少期などのことを知ることができます。

私はよくこれにプラスして、住んでる場所も聞いたりします。

仕事や家族のことを聞かれることが嫌な人もいると思うので、参考にしようと思います。 

 

「人は話し方が9割」では、他にも話し方のコツが紹介されてるので、気になる人は読んでみて下さいね。

聖書と名画:新約聖書編

旧約聖書偏に続いて、新約聖書偏の感想も書いてみたいと思います。

前回の記事はこちら↓

mimume.hateblo.jp

 

読んだ本はこちら↓ 

新約聖書は、イエス・キリスト誕生から最後の審判までが語られています。

旧約聖書は、国の繁栄や没落など歴史書のような大きく俯瞰的な観点で描かれていた印象でしたが、新約聖書イエス・キリスト個人の物語といった印象です。

イエス・キリストの誕生が誕生して、ヨハネから洗礼を受けて、数々の奇跡を起こしながら信者の数を大きくしていきます。

キリストは、たくさんの信者の中から12人の弟子を選び、これを12使徒と呼びます。

キリストはそのうちの一人であるユダに裏切られて、十字架で磔にされて一度死を迎えます。

しかしその3日後にキリストは復活し、使徒の前に現れて全世界に伝道を行うように伝えて天に昇っていきました。

 

旧約聖書と比べて大きく違う点は、「飴と鞭」ではなく「飴と赦し」がテーマになっている点だと思います。

旧約聖書では、神に逆らうものは死という鞭が与えられることが多くありました。

新約聖書では、「右の頬を打たれたら、左の頬を向けなさい」「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」といったように、たとえ逆らうものにも「赦しや慈しみ」が与えられます。

例えば、キリスト教徒を迫害していたパウロは奇跡を目の当たりにして回心し、キリスト教を伝道する道を選びます。旧約聖書のように罰を与えるのではなく、奇跡を起こして敵を味方につけています。より教義的で道徳的な内容になっていると思います。

 

興味深いことに、キリストを捕らえたのはユダヤ人たちでした。キリストが自分が神の子であると自称していることを、神の冒涜だとして死刑にしました。ユダヤ人たちは、同じ神を信じているからこそ、信仰の対象の子を名乗ったことが罪深く感じたんだと思います。

ここで、ユダヤ教旧約聖書だけを聖書としている理由がわかりました。キリストを神の子と思っていないので、キリスト中心で物語が進む新約聖書は聖なる書物とはなりえないということでしょう。新約聖書ユダヤ人と、キリストに対する基本的な考え方は変わっていないということですね。

 

また、キリスト教には伝道師がいる理由もわかりました。

キリストが使徒に命じたことを、ずっと実施してきたんですね。一方、ユダヤ教旧約聖書を信じています)は、伝道ではなく血縁によって宗教が受け継がれています。もしも新約聖書を聖書としてしまったら、これも成り立たなくなってしまいます。

 

個人的に、ラファエロの絵画が好きなので、絵画の背景の物語が知れて楽しかったです。

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小椅子の聖母ーラファエロ

この絵は、聖母マリアと幼いキリスト、右にはキリストを洗礼したヨハネが描かれています。ラファエロの絵は、女性や赤ちゃんがふっくらしててかわいいと思ってます。

聖書と名画:旧約聖書編

「図解 聖書と名画」を読んでみました。

キリスト教新約聖書ユダヤ教旧約聖書を聖書としているけど、同じ神を信じているというような、なんとなくの知識はあったのですが、今回この本を読んでみて知識をアップデートできました。

この本は絵画を時系列で並べてくれているので、歴史書の写真集みたいな感覚で見れます。

まず旧約聖書ですが、これはイエス・キリストが生まれる前のお話です。

神様が世界を創生してから、アダムとイブが創造されて、エデンから追い出されて、その子孫である人類が歴史の中で衰退したり繁栄したりする物語が語られています。

ここで、前に「バビロン大富豪の教え」感想文を書いた「バビロン」も王国として登場します。旧約聖書は、歴史を神が実在する前提で書かれた歴史書のようなものだったのかなと思いました。

これですね。

読んでみた感想は、神様は信仰しない人に対して容赦がないということです。

飴と鞭を使い分けているけど、鞭が本当に容赦ないです。

例えば、堕落した人間を見れば洪水を起こしてノアを残して人々を滅ぼします。

旧約聖書では明確に偶像崇拝を禁じていますが、ソロモン王の妻が異国の神の偶像崇拝をしているのを止めなかっただけで、息子の代に王国を裂いて取り上げるという罰を与えられます。

イスラエルの人々が辛くて不平不満を言った時には、蛇を差し向けて、かまれた人は死んでしまいます。

 

宗教の違いを尊重して、異国の神の信仰を許したソロモン王のほうがよっぽど寛大だし、他の宗教を信じて何が悪かったんだろうと思ってしまいます。

堕落していたからと言う理由で、善良なノアを除いた人を全滅させるのも、賛成できませんでした。

堕落した人、辛い人を導くのが神だとおもっていたので、旧約聖書の神はイメージと違いました。

 

それと同時に、「信じる者は救われる」の意味が理解できました。愚直に神を信じたものには、神から飴が与えられます。

異教徒弾圧の考え方も少し理解できました。異教徒が聖書とは異なる神を信仰しているのを許すだけで罰が下るので、異教徒を排除しなければいけないという思考になるのではないかと思いました。

 

当時は新興宗教だったと思いますので、厳しい罰則とただ愚直に信じるだけでいいといった明快さが、信者獲得に有効だったのかもしれませんね。

なぜコロナで病院が赤字になるのか考えてみた

コロナで人が入院するのに、どうして病院が赤字になるのか考えてみました。

 

1.外来に人が来なくなる

コロナを恐れて外来患者が激減して、収益が下がります。

 

2.手術が延期になる

感染リスクの高い予定手術も延期になります。後々実施するので、ここでは一時的な収益減となります。

 

3.余計なコストがかかる

防護服、N95マスクなど、本来必要なかったコストがかかります。使い捨てなので、たくさん必要になりますが、供給が限られているので高額な支出になります。

 

4.業務効率が落ちる

防護服、マスクなど着用により、時間効率も業務効率も低下します。また、コロナ患者のシーツ交換などはより単価の高い看護師の仕事になり、支出が上昇します。(これは多くの場合、看護師のサービス残業となるので、支出はあんまり変わらないかもしれません)

 

5.ベットコントロールの効率低下

コロナ疑いが1人でもいると、個室か大部屋に入ります。大部屋は、本来4人入れるはずがコロナ疑いのみの部屋になるので、得られる収益が低下します。 

 

6.人手不足になりやすい

1人コロナがでれば、濃厚接触者も含めて14日間自宅待機になります。それをカバーするために、周りの人が多忙になります。人件費は変わらないのに、人手は少なく業務は変わらないので、残業代という支出増となります。

 

これにより、コロナを受け入れる病院は余計な業務・物品調達によるコスト増、外来患者・手術件数減少による収益減で赤字になります。

国からの支援がないのであれば、国が強制力を持たない民間病院は受け入れない選択一択となります。

 

最高の体調

「科学的な適職」に続いて、鈴木祐さんの「最高の体調」も読んでみました。

最高の体調 ACTIVE HEALTH

最高の体調 ACTIVE HEALTH

 

体調に影響があることは、炎症、不安、腸環境、孤独、ストレスです。

炎症はあまり聞きなれない言葉ですが、睡眠不足や多すぎるカロリー、都会的な生活により自然にまったく触れないこと、ストレスなどにより炎症マーカーは上昇します。

自然との触れ合いは、忙しい会社員には難しいですが、デジタルでの接触でも効果があるとのことです。

私にできそうなことは、

Youtubeなどで、鳥や水の流れる音、映像を見る。

・観葉植物を購入して育てる

・近くの公園を散歩してみる

観葉植物はシックハウス症候群の原因物質を取り除く作用があるものもあるため、取り入れてみたいと思いました。

ポトスやキク、ガーベラ、ツツジあたりがホルムアルデヒドをフィルタリングしてくれるようです。

 

孤独も、体調に影響するようです。

友達や家族の輪があることが大切ですね。一緒に過ごす長さが仲良くなる上で一番重要のようです。

 

また、人間は環境に大きく左右されることが勉強になりました。Googleが社内で行った実験では、自動販売機をスナックの近くに設置した場合では、スナックの摂取量が増加したとのことです。反対に、野菜など健康的な食物の近くでは、健康的な食事の摂取量が増えました。

スマホを電源を置いた状態で近くに置いて問題を解いた生徒と、視界に入らないようにした生徒では、パフォーマンスに差がでました。

ストレス後に豊かな公園の写真を見た生徒は、都会的な写真を見た生徒に比べて、副交感神経(リラックスするように働きかける神経です)が優位に亢進していたとのこと。

このことからも、私たちは無意識に何を見るか、感じるかで行動や体調に大きな差がでることがわかります。

勉強机になにを置くかでも、パフォーマンスに差が出そうですね。

携帯の待ち受けも、自然の風景にしてみて、無意識に目に入る環境を自分で整えてみるのが大切だと思いました。

鬼滅の刃より進撃の巨人が好きな理由

鬼滅の刃」も「進撃の巨人」も好きな漫画ですが、どちらかというと「進撃の巨人」のほうが好きです。

その理由は、「進撃の巨人」のキャラクターはみんな「悪」と「善」どちらにもなりえるからです。一方で、「鬼滅の刃」のキャラクターには「悪」か「善」しかありません。

*ネタバレ含みます*

例えば「進撃の巨人」では、主人公のエレンの村が巨人に襲われて復讐を決意します。この時、読者の目にはエレンは「善」、巨人は「悪」です。やがて、ライナー・ベルトルトが村を襲った主犯格であったことが明らかになります。ここでもライナー・ベルトルトは「悪」です。しかし、物語が進むにつれて巨人は元人間で刑罰として巨人にされていることを知ります。ここで、巨人は悪になりきれなくなります。ライナー・ベルトルトも親の期待や国のイデオロギーを背負って、国のため祖国の家族のために侵略を決行しました。まだ幼い子供の彼らが、大人が作ったレールに乗って、家族を喜ばせようとしただけでした。話の中盤で、ライナー達は「悪」になりきれなくなります。悪だと思っていたキャラクターたちの動機を知って、段々と共感できるようになります。

一方、最初は「善」として描かれていたエレンは海を渡り、ライナー達の祖国を襲撃します。ここで罪のない人たちも巻き込まれて、命を落とします。ライナー達が行ったことと同じようなことを行うのです。話の中盤で、エレンの「悪」の側面も見えてきます。

人間にはいろんな側面があって、完全な悪人もいなければ、完全な善人もいません。見る人、関わる人によって、同じ人を見ていても善悪の割合は変わります。この善悪にグラデーションがあることで、キャラクターの奥深さが描かれるんだと思います。

 

鬼滅の刃」は、鬼滅隊の面々はすべて「善」として描かれています。主人公の炭治郎に切られる鬼から見たら、炭治郎はよほどの悪人に見えると思いきや、感謝する鬼も出てきます。感謝までいかなくても、基本的に鬼は「悪」、主人公は「善」で話が進みます。勧善懲悪ものですね。

鬼の背景が丁寧に描かれていて、鬼も完全な悪とは言い切れないような描かれ方をしていますが、人をたくさん殺して食べてる時点でどうしたって「善」にはなれません。グラデーションも作れません。

水戸黄門と同じくくりで、「鬼滅の刃」も好きです。最後まで読みましたしね。ただ、主人公が「善」しかないのでキャラクターが一面的になっていると思った次第です。

感想文:モチベーション革命

「モチベーション革命」を読んでみました。アメリカ人心理学者、マーティン・セリグマンは人の幸せは「達成、快楽、没頭、意味合い、良好な人間関係」の5つに分けられることを前提に話が進みます。

物がない中で育った世代を「乾いた世代」と言って、「快楽、達成」がモチベーションになってます。

物で溢れた時代に育った世代を「乾いた世代」として、「没頭、意味合い、良好な人間関係」がモチベーションになります。

尾原さんは、これからの乾いた世代は自分が没頭できるくらい好きなことを極めることで、それを提供して、仕事にしていくことを提案しています。自分が何にモチベーションがわくのかを理解して、それを高められるようなことを仕事にしていこうということですね。

 

「科学的な適職」とは正反対ですね。「科学的な適職」によると、好きを仕事にするよりも割り切って仕事をした人のほうが長期的に見た幸福度や満足度が高かったそうです。

 

なぜ相反する主張になるのでしょうか?

科学的な適職は、研究論文から導き出した平均値です。一方で、モチベーション革命は個人の経験を元に導き出されて答えですよね。

研究に参加人の中には、長く勤めて、嫌なことでも妥協したり、徐々に賃金も高くなって、本当にやりたかったことを諦めていたとしても、まあ自分の人生これでいいかとどこかで折り合いをつけた人もいるはずです。そうすると、モチベーションが高くなくても、ある程度、満足度と幸福度は高くなると思います。もしくは、「乾いた世代」が多く参加していたから、やりたくないことでも稼げてほしいものを購入できれば満足で幸せって人もいるかもしれません。

満足度や幸福度は、結局は個人の主観です。ものの見方がみんな異なるように、何をして幸せなのかはみんな違います。

 

 「科学的な適職」も「モチベーション革命」も、すべて主観的なものだと思って読んでいくことがいいと思いました。

「好きなこと」が見つからない人たちにとっては、「科学的な適職」で好きじゃないことしても幸せになるってことを知って視野を広げればいいし、「好きなこと」では稼げないって思っている人たちは、「モチベーション革命」で「好きなことしてもいいんだ!」と思えると思います。

 

個人的には、好きなことをして生きていけたら楽しいけど、もしお金にならないなら諦めて得意なことで稼いだほうがいいと思ってます。